第一回 「7.13水害を振り返る。」
NPOソーシャルファームさんじょうが今年9月に「ASOBISAI CAMP 2021」というイベントを開催するにあたり、三条市に本社を置くキャプテンスタッグ株式会社様から協賛をいただくことになりました。本イベントは「遊びながら、そなえよう」をコンセプトに、キャンプや日常を楽しみ、それを続けていくことで災害に備えることを目指した企画です。
企画を進めていく中で、過去に災害を経験したことがあると聞き、今回詳しくお話を聞くことができました。この貴重な体験談とそこから得たものについて、そして災害にも役立つキャンプグッズの紹介などを前後編の二部構成でお届けします。
前編では村松さんより、2004年7月に三条市で発生した「7.13水害」のときの体験とそこから得たものについて語っていただきました。
髙波 洋介氏
キャプテンスタッグ株式会社 常務取締役 アウトドア事業部 本部長
他社とのコラボレーション企画を仕掛けるなど、キャプテンスタッグブランドを若い世代にも広めるために積極的な事業展開を行っている。
村松 勉氏
キャプテンスタッグ株式会社 アウトドア事業部企画開発室 部長
2004年7月に三条市で発生した「7.13水害」では、水没する街中をショールームのカヌーを用いて、皆と協力して救助活動を行なった。
井上 佳純氏
NPOソーシャルファームさんじょう所属
2019年1月より三条市地域おこし協力隊として着任。現在は教育分野にて子ども向けイベントの企画運営や学校連携に取り組む。
プロローグ ~水害発生時の状況~
新潟は自身が生まれる前の三八豪雪(昭和38年1月豪雪)のイメージが強く、水害が起こるのは想定外だったという村松さん。初めての“自然災害”は想像を絶することの連続だった。その日の朝、ものすごい雨が降っている中いつも通りに出社した。すでに高架下の赤色灯が点滅し、20センチほど冠水している状態だった。通常業務をしていたところ、取引先から1本の電話が入る。
「五十嵐川の対岸側が決壊したらしい」
念のため土手近くに住む社員のアパートを見に行き、「全然水はないし、大丈夫そうだね」とハブステーションに向かった。ところが午後2時過ぎ、本社に戻るよう電話が入る。信越線の後ろに見える田んぼに津波のような波が押し寄せてくるのが見えた。
電送関係の機器が置いてある1階に水を入れてはいけないということで、社員総出で入り口を土のうでふさぐ。社用車や自家用車も急いで坂の上などに逃がした。そうしている間もだんだんと水位は上がり、本社近くの消防署に避難している人たちの救助にあたることに。ここで活躍したのがキャプテンスタッグ(株)のショールームにあったカヌーである。3階にあったカヌーをすべて階段から下ろし、普段からカヌーに乗りなれている社員を中心に、ガイドロープを使いながらその人たちを近くの建物の2階に避難させた。
すると、当時のひらせいホームセンターの専務から担当営業に電話が入る。
「TSUTAYAさんの状況が心配だから、見に行ってくれないか」
ただ、こちらの状況も手一杯。村松さんもしばらくは本社での作業にあたっていた。午後6時ごろ、先ほどの電話を取った担当営業から再び話を受ける。
「やっぱり心配なので、一緒に見に行ってくれないか」
それまで本社で作業にあたっていた村松さんもカヌーに乗って救助に向かうことになる。
第1章 ~夜の救助活動~
髙波:もう夜ですか?
村松:もう夜7時ぐらいかな。まあ当然土砂降りですよね。中も全然灯りが点いてない状態だったので、さすがにもう避難されただろうと思ったんですが、ちょっと心配だったので声かけだけはしようと思いまして。入り口のところにすっとカヌーで付けて、でかい声で、
「どなたかいますか」
って言ったら、ペンライトが入口のところで振られまして。〈あ!いる!〉と思って。ガチャガチャの上に男性店員の方1人いらっしゃって。この人だけだと思って、
「どなたかまだいるんですか」
って聞いたら、
「中にいます」
って言われて。中に入っていったら、男性女性が1列ずつ本棚の上に10人ずつぐらい立った状態でいらっしゃって。もう水の勢いがすごくて逃げるに逃げれなかったということで、その上にいらっしゃったみたいです。お店の中に入ったらそれこそ腰ぐらいの高さまでの水位だったんで、タンデム(2人乗り)の艇で行ってましたから、特に女性の方を先に逃がさないとダメだということで。
TSUTAYAさんの前の工場があってその2階を開けてくれるという話を取り付けたので、「そちらの方に逃がそう」ということで。2人でカヌーの頭とおしりの所を持って女性2人を乗っけて、TSUTAYAさんの店内から駐車場を通って、道路を渡って、その2階まで引っ張っていこうと思ったんですね。水が腰までなんで。ところが水はけをよくするために駐車場に傾斜が付いているんですね。私だいたい身長170センチぐらいなんですけど、駐車場の端のところで背が立たないぐらいです。
〈これ下手すると自分も死ぬな〉と思いまして。1回だけその2人を上げて、担当営業はそこに残ってもらって、私がピストンで1人ずつ渡して。2時間くらいかかったのかな。行って帰ってきてっていうのをやって。
そのあと本社のほうに向かってカヌーで帰ってくるときに、警察の方にちょっと呼び止められて。
「なんかいいの乗ってるね君。連絡取ったりとかしたいから、君の会社までちょっと乗せてってもらえますか」
みたいな話で警察の方も乗せましたね。
第2章 ~後始末と助け合い~
水は1日以上引かなかったが、かなり局所的な雨の降り方をしていたため、巻に住んでいた村松さんのお母さまは当時の状況を全然つかめていなかったそう。電話でいま起こっていることを手短に伝え、引き続き作業にあたった。
大変だったのは水害発生時だけではない。まずは社員の安否確認を行った。連絡の取れない社員がいると、自宅を調べて複数人で確認しに行った。すると、連絡もできずに家の後片付け作業に追われている姿が。グループを編成して片付けの応援に行くと、知り合いが困っていると話を受け、その手伝いも行った。特に大変だったのは畳と土砂の始末。本い草を使った畳は水を吸っていて、男4人で持ち上げられないくらいの重さになっていた。
普段、わりと内向的な県民性である新潟の人たちが、非常時には声をかけ合い、自然と助け合うことができる姿に感心した。それはまるで雪道でスタックしている車を救出する姿さながらであったと村松さんは語る。
「あそこの家が困っているから、助けに行ってこい」
悲惨な状況と裏腹に、お互い協力しながら復旧作業にあたったのだった。
第3章 ~水の脅威~
井上:いままでの話を聞いて、そんな状況になってたなんて全然想像できない。
村松:想像を絶するでしょ。一夜であんなになると思わないですよ。朝行って〈あー水こんな状態か〉って思ったら、本当に津波状態で。
髙波:しばらく雨が止んでるうちにだんだん増えてきましたよね。〈止んだから大丈夫かな〉と思ったら、静かにだんだん水位が上がっていくみたいなね。
村松:〈くるぶしまであったのが、ふくらはぎまで来た。ふくらはぎが膝まで来た!〉みたいな。もうあれよあれよという間にぐーっと上がっていく感じ。だから結局、逃げようと思って逃げられなくなったっていうのはたぶんそういうことなんだなーって思います。
村松:駐車場に傾斜がついているので、店の中は腰ぐらいとか膝だけだとしても歩いて行くと、もうだんだん〈あれあれ?〉って。
ドブとか排水溝がどこにあるのか、濁流なので前が全く見えないんですよ。全く見えないから足踏み外してっていう心配もあるし。
あと水圧。流れがあるから向かって歩こうと思っても全然ね、押されてなかなか前に進めない。原信さん側から四日町の方向に向かって流れがあって。だから2人で引っ張っていこうとした時も、歩いてると浮くじゃない。浮いていると流されていくっていう。これは引っ張っちゃダメだなと思って。やっぱり漕がないとダメだと思って。
髙波:怖い。
村松:だから、ライフジャケット。
髙波:そうですね、ライフジャケットしながらですもんね。
村松:ライフジャケットは絶対いります。我々もライフジャケット着て、着れた人間はラッシュガードも着てましたけど。7月ですけど低体温症になるんですよ、みんな。もう下半身ずっと水に浸った状態のままやってるんで。途中見に行った時に唇が紫色になっていて。だから「危ないから30分とか、そのぐらいずつで交代しながらやりなさい」っていう話をして、交代でやりましたけど。
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